いきログ

インハウスデザイナーやってる会社員がフリーランス転身を目指して生きる日々の記録ブログ

プロフィールその2 今に至るまで

●楽しい専門学生時代

高校卒業後、「描くことに関係する仕事はしたいけど、描くことで食べていくって難しくない??どうしよう?」と考え、「好きな事を仕事につなげるには」と当時の自分なりに一生懸命考えた結果、専門学校の3D映像学科への進学を決めます。

美術大学へ行く道もあったと思うのですが、美大を卒業してから会社で働くイメージがつかめなくて、早いうちから専門学校にいこうと考えていました。

3D映像技術を勉強する学科だったので、クラスメイトのメンツが濃くて濃くて… 高校の暗黒の記憶が吹っ飛んでいくほど楽しい毎日を過ごしました。みんな「何かを作ったり形にしたりするのが好き」な人だったので、課題をこなしながらアドバイスをしあったり、課題締め切り前に煮詰まりながらお互いを励ましたりしました。高校の頃とは違い、心から相手と接することができたので、すべての時間が充実していました。

肝心な勉強のほうですが、私は3Dはすごく苦手だということがわかりました。2Dとかなり勝手が異なるし、3Dは3Dの表現手法が必要で、平面表現が得意だからと言ってモデリングにそのまま落とし込んでもいい表現ができるわけではありませんでした。反面、私が「これは楽しい!」とのめりこめたのは映像編集でした。在学中After effectsというアドビ社の映像編集ソフトに触れたのは大きな収穫だったと思います。このソフトはどちらかというとフォトショップと操作の方法や構造が似ていたので、私にとっては3Dよりも、感覚的に映像に手を加えることが出来たのです。3Dの勉強が主な学科だったので、卒業制作でも3Dを使わなければいけなかったのですが、私は3D表現は最小限にとどめ、After effectsの編集で作品を盛りに盛りまくりました。結果、校内コンペで優秀賞と校長賞をいただくことが出来ました。あ、ありがたや・・・!うれしかったです。

就職活動も頑張らなければいけない時期でしたが、この時期の私はとても落ち着かない気分で日々を過ごすことがおおかったです。

私の家族の問題が急激に顕著化・家庭が崩壊寸前のガタガタ状態だったのです。

 

 

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●無気力全開 ヤケクソの20~22歳

学校の卒業式が近づいていたころ、「あなたが成人するまで我慢していた」と告げられ、両親の不仲が顕著化しました。家族で話し合い、何とかしようと取り合ってみたりしましたが、あっけなく両親の離婚が成立。自分が「いままでいた居場所」が崩れ去るのを目の当たりにした私は、しばらく無気力になり、何もできない状態になりました。就職活動にも身が入らないまま卒業し、ヤケクソに遊ぶ毎日を過ごします。

アルバイトはしていたものの、お昼頃に出勤~夕方帰ると夜中~明け方までツイッターで友達と遊び、またバイトの時間まで寝る。というのが定番でした。ひどすぎる生活です。

「あなたが成人するまで我慢していた」という言葉が心にやけに引っかかって、「じゃあ私が生まれなかったら何か違ってたの?!」と、一人悶々としていたんですね。今考えてみると、私が生まれてなくても結果は同じだったと思います。きっと悲しすぎて信じたくなくて、「何かのせい」にせずにはいられなかったんでしょう。おそらく人生で一番後ろ向きになっていた頃でした。将来のことなんて何も考えられなかったです。このままではダメだと、心の隅ではわかっていたのですが。

 

東日本大震災発生 甘ったれの自分に喝を入れる

あの日の出来事は皆さんもご存知かと思います。怠惰な生活をしていた私は実家で被災しました。たまたま実家に帰ってきていた姉と二人、ニュースを見ながら夜を過ごしました。揺れは断続的に続いて、怖くて一睡もできませんでした。更に朝になると恐ろしい被災地映像が飛び込んできて、これが現実なのか?と呆然。同時に「私の人生も、ある日突然終わるのかもしれない」と思いました。そして「なのに私は、いつまでこんな生き方しているのだろう?」と、ようやく「これからの生き方」に視点を移せました。

たとえ悲しい事が起こっても、人生の選択肢を選ぶ事から逃げてはいけない。人生は死ぬ直前まで続くもの。だから、自分の人生のかじ取りを辞めてはいけない』と思いました。「両親の問題」と「自分の人生の問題」をゴチャゴチャにしていましたが、やっと現実を直視出来たんだと思います。「真剣に生きなくては。こんな生き方はダメだ!」とその日からツイッターをきっぱりやめて、怠惰な生活を改めていきました。

復活をして1週間ほどたったころ、知人からタイミングのよすぎる連絡が入ります。

 

 

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●チャンスに巡り合い、誰かの役に立てることを知る 22歳~28歳

「上司が絵を描ける人がほしいと探している。1週間後に面接があるから準備しといてね」というタイミングよすぎる電話に、心底人生って不思議だなと思いました。

不思議な余韻に浸りながら必死にポートフォリオ作って面接へ向かい、デザイン作成兼営業事務の仕事に就くことが出来ました。

絵を描くのは得意でしたが、デザインについては完全に初心者でした。社内に1人だけの担当で、デザイン会社に勤めた経験もなかったので「上手くなるため」に思いつくことはなんでもトライしていました。(街で見かけたレイアウトのおしゃれな雑誌を自分なりに研究したり、色について勉強したり、きれいなデザインのパンフレットを集めまくって真似をしました。他のデザイナーさんと仕事ができる環境を求めて、クラウドソーシングでいくつか案件をこなしたりもしました)

新しい環境に飛び込むついでに、両親離婚騒動トラブルの記憶が濃い実家で過ごすことに耐えられなくなり、勢い任せに一人暮らしを始めます。

会社自体はデザイン会社ではなかったので最初は「絵を描くのが仕事なの?」という冷たい視線で見られ、わりと肩身が狭い立ち位置でしたが、とにかくデザインで会社の役に立ちたくて、自分にできることに力を注ぎ続けました。すると段々仕事を振られる数が増えていき、自分と同じスキルを持つ人を採用してチームの運営を任せてもらえるようになり、外注先のデザイン会社とのやりとりも任されるようになりました。

社内向けに作成したものに対するリアクションを近くで見られたのが一番うれしかったです。私が作成したものを介して、よろこんでくれる人がいました。お店の売り上げに貢献できたこともありました。自分の仕事に一層誇りをもってくれた人がいました。「自分のスキルで誰かの役に立てるんだ」という事を確信しました。

 

●落ち込んで這い上がったから考えられた「私が本当にやりたい事は?」 現在28歳

ある程度働きが認められて、「やっと人並みになれだ」とちょっとうれしかったのですが、認められてから一つ変わったことがありました。それは『チャレンジがあまり出来なくなったこと』です。責務が明確になればなるほど行動範囲が限られていきました。同僚や理解ある上司にも恵まれていたし、仕事は本当に楽しかったのです。ただ「私が本当にやりたい事とは違う」だけでした。今自分がどう行動するかで、この先の人生が変わる「分岐点」にいるんだろうと感じていました。

デザイン会社とやり取りをしていたので、デザイン会社に転職しても結局、今と同じ業務フローの繰り返しになるということは理解できていました。【自分は本当はどうしたいのか?】と毎日意識の底で自問自答を続けました。

その結果、私が本当にやりたい働き方は、『転職』という枠を飛び越えた違う形のものだと気が付きます。自分が心から共感できる人を探して、その人の役に立てる様に自分の技術力を使っていきたい。常に技術に触れて、自分のスキルも常にアップデートさせていきたい!

「安定が約束された道」は確かにすばらしいし、いいものだと思う。だけど老後のことばかり考えて限られた枠の中で生きるのって、窮屈でおかしくないか?私は多少大変でも楽しく生きたい。本当に歩きたいのは「険しくても変化のある道」でした。

 

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●「フリーランス」という道を選ぶことしました

そんな過程を経て、今は独立に向けて準備中です。正直、とても不安です(笑)でも、後悔の念がかけらも浮かんでこないのが本当に不思議なんです。きっとこれが自分にとって本当に正確な選択だったのだろうと思っています。もう頑張るしかありません。それでいいのです。

 

このブログはこれから活動する上での情報発信拠点として立ち上げました。

私が提供できるサービスのご紹介をはじめ、ソフトの機能紹介など、皆様に役立つ情報をポジティブに!積極的に!発信していく予定です。

ここまで読んでいいただき、ありがとうございます。

どうぞ【いきログ】をよろしくお願い致します!

初めまして! このブログを書いている人のプロフィール

みなさんはじめまして!いまい(@Imai_design)です。

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私は今千葉県にある会社で、社内デザイナーとして働いています。このブログを本格的にスタートする前に、私がどんな人間なのか紹介させてください。
ちょっと長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
 
 
●幼年期 キングギドラとお絵かきが大好きな子供だった 
・家族の真似をしてお絵かきを始める。
私は3人兄弟の末っ子でして、末っ子って上の兄弟がやることをなんでも真似するんですよね。私も例にならい、絵を描くのが好きだった姉のまねをしてお絵かきをはじめたようです。
おしゃれをしている女の子や鳥の絵をよく描いていました。あとは「カービィ」というゲームのキャラクターを気に入っていまして、幼稚園の休み時間にピンク色のペンでひたすらカービィを描きまくっていました。
 
当時の女の子の遊びといえばおままごととか、リカちゃん人形あたりがメジャーな遊びだと思いますが、私がはまったのは怪獣でした。
近所のヨーカドーのおもちゃ売り場に行くとまずは怪獣人形が売っているコーナーに走って、特撮に出てくる怪獣フィギュアを心底「カッコイイ!」と思いながら眺めまくっていたのを覚えています。(変な子ですね!
一番好きな怪獣は「ゴジラ」に出てくるキングギドラでした。
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↑ドラゴンみたいでかっこいいし、首が3本もあるし、とにかく強そう!
 
次点はモスラです。モスラは蛾がモチーフの怪獣です。
 キングギドラにはない要素は私の恐竜大好き心をガッチリつかんでいました。 
ラドンという怪獣も好きでした。

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↑かわいい。とてもかわいい。

 
 
 
ノストラダムスの大予言を心から信じていた 小学生~中学生
おそらく私と同世代の方はみなさまはご存じかと思います。
(※ご存じない方はこちらをご覧ください…ノストラダムス現象 - Wikipedia
当時はこの予言が話題で、テレビではこの「1999年に地球が滅亡系」の番組特集がよく放送されていました。
私はこれを心の底から信じこんでいて「自分が大人になるには地球は滅亡しているんだな!だから大人になることは考えなくていいね!」と本当に思っていました。(なんて頭の悪い子供なんだ…!
眠れない夜に「わたしのかんがえた地球滅亡シナリオ」を思い浮かべることが多かったです。ちなみに「わたしの考えた地球滅亡シナリオ」は突然地球が爆散して人類が滅亡するパターンでした。(ビックバンみたいなやつです)
 
・相変わらず絵をかくのは好きだった
この時期は色鉛筆やクレヨン、コピックを使って自分なりに工夫を凝らしていました。
みんなが喜んでくれたり、友達や先生から「上手だね」と反応をもらえることももちろんうれしかったのですが、私は白い紙に自由にのびのび描けることが一番の快感で、休み時間や授業中もずっとお絵かきばかりしていました。
学校の美術はいつも5でたまに4。学校に大体何人かいる「絵がうまい子」で、クラス行事や学校行事で「描く」ことが絡んでくると声をかけられる事が多かったです。修学旅行のパンフレットの表紙を描いたり、卒業文集の表紙を描いたりしました。
このころから「将来は『描く』仕事をする人になりたいな~」と意識しはじめます。
 
この時期はインターネットが世の中に登場して急速な一般普及が進んでいった時期だったかと思います。
私も波に乗ってチャットルームや色々な交流サイトを利用していたのですが、中でも一番のお気に入りは「お絵かき掲示板(ブラウザ上で絵を描いて投稿できる機能)」がある交流サイトで、しょっちゅう入り浸っていました。
そこはいろいろな年代の滅茶苦茶絵が上手な方が沢山いて、私にとっては天国のような場所でした。そこで活動されていた方の中には、今商業で大活躍されている方もたくさんいます。本当に刺激的でした!
遠く離れた場所に住んでいるのに、自分と似たような趣味を持った人たちに出会える!しかもその絵も見れる!という点にとても感激し、自分もその輪に混ざりたくて投稿しまくっていました。
刺激を受けまくった私はホームページビルダーなどのソフトを使って自分のサイトを作り、サイトで知り合った方々と交流をしたりもしました。
中学生だったので直接会いに行くことはできなかったし、お互いの表情もみれなかったけれど、「同じ目的を持った仲間」と共有する時間がとても楽しかったんです。
 
●暗黒の高校生時代 コミュニケーションで悩むf:id:imai88:20170713164521j:plain
それなりに頑張って勉強し、憧れの高校への入学することが出来ました。
正直友達が作れるか不安で仕方がありませんでしたが、予感は見事に的中します。
入学オリエンテーションが終わった直後「〇〇ってよんでね!よろしくね!(素敵な笑顔でニッコリ!)」とみんな一斉にメールアドレスの交換を始めたのですが、私はそのつくり笑顔が怖くて輪に入れず… その日から私の暗黒の(笑)高校生活がスタートしました。
運動部の女の子たちのオーラに圧倒されてはビクビクしている日々。でもありがたいことに何人かの気の合う友達と出会うことができ、その友達の数々のフォローのおかげで楽しい時間も過ごせました。
なんであんなに過ごしづらかったのか振り返ってみると、コミュニケーションを上手に取れなかったのはもちろん、「みんなが興味を持ってることに興味がなかった」のが一番の原因だったのかもしれません。自分の好きな事をとことん掘り下げるのは得意なのですが、芸能人の話題とか、当時の流行りものとか、「自分が全く興味を抱かないもの」には本当に興味が湧かないタイプなので、みんなの話題に乗れなかったり、上手く合わせられなかったのです。
あまりにも学校に行きたくなくて、学校に行くフリをしてさぼったことも何度かありました。一度学校をやめたいと親に言ったこともあるほど、教室に漂う空気が嫌いでした。
(親からの回答は「あんたが選んだんだから最後まで行きなさい!」という一言と一発の鉄拳でした。その喝のおかげでいやいやながら最後まで通うことが出来ました。あれは痛かった…) 
 
 
次回記事、「専門学生時代~今に至るまで」に続きます。
 

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